何年ぶりになるのだろう。もう,すっかりその名も忘れかけていた駅伝の名門・日体大が総合優勝を果たした。おめでとう。関係者のみなさんにこころからお慶びを申しあげます。
昨日(2日)の往路優勝のときのインタビューで別府監督が「優勝の味を忘れていた」と語った姿が印象的だった。でも,それ以上に感動したのは,3年生キャプテン服部君の快走である。去年までの柏原君の快走に代わる新しいヒーローの誕生である。
テレビ中継の途中で,そして,今日のテレビ中継でも,何回も繰り返し語られたように3年生キャプテン誕生に,じつは大きな秘話があった。昨年は,日体大はブレーキを起こす選手が続出して,よもやの時間内でのタスキ・リレーができなくなるという不測の事態が起きた。このとき,別府監督は初めて選手たちの前で涙を流した,という。そして,つぎのキャプテンを4年生からではなく,3年生の服部君を指名した,という。そこからのチームづくりは大変な苦労があった,と聞く。そして,最終的には3年生の服部君を中心にしてチームが一丸となる体制ができあがったという。
そのための秘策は,なんとチームづくりの「基本の基」にもどることだった。それも当たり前のことを当たり前にやる,それを徹底し,継続することだった。たとえば,駅伝チームのメンバー全員が一丸となって,きちんと食事をとる,充分な睡眠をとる,掃除をする,助け合う,・・・等々のことを徹底して身につけることから別府監督はやり直した,という。つまり,ごく当たり前の日常生活から立て直した,というのだ。
それにはわけがある。わたしは,かつて日体大の大学院で教鞭をとっていたことがある。別府監督は,その当時に,監督をしながら大学院に入学して,勉強にも取り組んでいた。若い院生たちの間に身を投じて,もう一度,勉強し直そうとしていたのだ。つまり,率先垂範だ。つまり,みずからの姿勢を糺すことによって,学生たちが気づいてくれることを期待したのだ。しかし,それもどうやら伝わらなかったようだ。そして,チームは低迷をつづける。いい選手が揃ってきていたのに,成果がでなかった。
別府監督はとても温和な人柄である。わたしは,駅伝が好きだったので,時折,別府監督と話をすることがあった。そして,チームを預かっている苦悩の一部を耳にしてもいた。そのとき,わたしは別の競技種目の監督から,驚くべき学生たちの生活実態について耳にしていたので,その話をした。たとえば,学生たちは酒が飲みたい一心で食費を切り詰め,インスタント・ラーメンを食べてしのいでいる,上級生が夜中に下級生を叩き起こして,むたいな無理難題を押しつけて,それをやらせている,授業にでてきても眠ってばかりいる・・・・,ここから直さないと折角の才能のある選手もつぶれていくのでは・・・?というように。
たぶん,別府監督は,その建て直しのためにすでにずいぶんと努力をされたのだろうと思う。しかし,チームにその考えを浸透させるには,もっと別のきっかけが必要だったのだ。それが,監督の涙だった。いつも冷静で,温和な監督が選手たちの前で「初めて涙」をみせた。そして,決意も新たに,3年生キャプテンを指名した。チームに激震が走ったに違いない。4年生にしてみれば青天の霹靂である。チームは大揺れに揺れて,少しずつ揺れが収まり,ついには4年生が積極的に3年生キャプテンを支援しはじめ,チームはひとつになった。その渦中の中心にいて,じっと耐えた服部君の姿勢もまた立派である。それが,こんどの山登りの快挙となって報われた。
チームがひとつになれば,選手たちの目の色は変わる。選手一人ひとりがみずからの生活を律し,生きる基本から見直し,実践しはじめる。それをみんなで取り組んだ。もう,こうなれば放っておいても選手たちは走る。それも押しつけられたメニューではなく,自分に合ったメニューを考え,実践し,反省し,メニューを修正し・・・・,これを繰り返していく。ほんとうの意味の切磋琢磨がはじまる。
その結実が,箱根駅伝の総合優勝となって現れた。最高の結果である。この経験をとおして一番学んだのは選手たちであり,それを裏方で支えたチームのメンバーたちだ。素晴らしい財産を手に入れたチームのみんなに,そして,別府監督に最高の「おめでとう」を贈りたい。
この「基本の基」を忘れないかぎり,日体大の黄金時代はつづくだろう。
来年の駅伝をいまから楽しみにしよう。
HomeAny source
昨日(2日)の往路優勝のときのインタビューで別府監督が「優勝の味を忘れていた」と語った姿が印象的だった。でも,それ以上に感動したのは,3年生キャプテン服部君の快走である。去年までの柏原君の快走に代わる新しいヒーローの誕生である。
テレビ中継の途中で,そして,今日のテレビ中継でも,何回も繰り返し語られたように3年生キャプテン誕生に,じつは大きな秘話があった。昨年は,日体大はブレーキを起こす選手が続出して,よもやの時間内でのタスキ・リレーができなくなるという不測の事態が起きた。このとき,別府監督は初めて選手たちの前で涙を流した,という。そして,つぎのキャプテンを4年生からではなく,3年生の服部君を指名した,という。そこからのチームづくりは大変な苦労があった,と聞く。そして,最終的には3年生の服部君を中心にしてチームが一丸となる体制ができあがったという。
そのための秘策は,なんとチームづくりの「基本の基」にもどることだった。それも当たり前のことを当たり前にやる,それを徹底し,継続することだった。たとえば,駅伝チームのメンバー全員が一丸となって,きちんと食事をとる,充分な睡眠をとる,掃除をする,助け合う,・・・等々のことを徹底して身につけることから別府監督はやり直した,という。つまり,ごく当たり前の日常生活から立て直した,というのだ。
それにはわけがある。わたしは,かつて日体大の大学院で教鞭をとっていたことがある。別府監督は,その当時に,監督をしながら大学院に入学して,勉強にも取り組んでいた。若い院生たちの間に身を投じて,もう一度,勉強し直そうとしていたのだ。つまり,率先垂範だ。つまり,みずからの姿勢を糺すことによって,学生たちが気づいてくれることを期待したのだ。しかし,それもどうやら伝わらなかったようだ。そして,チームは低迷をつづける。いい選手が揃ってきていたのに,成果がでなかった。
別府監督はとても温和な人柄である。わたしは,駅伝が好きだったので,時折,別府監督と話をすることがあった。そして,チームを預かっている苦悩の一部を耳にしてもいた。そのとき,わたしは別の競技種目の監督から,驚くべき学生たちの生活実態について耳にしていたので,その話をした。たとえば,学生たちは酒が飲みたい一心で食費を切り詰め,インスタント・ラーメンを食べてしのいでいる,上級生が夜中に下級生を叩き起こして,むたいな無理難題を押しつけて,それをやらせている,授業にでてきても眠ってばかりいる・・・・,ここから直さないと折角の才能のある選手もつぶれていくのでは・・・?というように。
たぶん,別府監督は,その建て直しのためにすでにずいぶんと努力をされたのだろうと思う。しかし,チームにその考えを浸透させるには,もっと別のきっかけが必要だったのだ。それが,監督の涙だった。いつも冷静で,温和な監督が選手たちの前で「初めて涙」をみせた。そして,決意も新たに,3年生キャプテンを指名した。チームに激震が走ったに違いない。4年生にしてみれば青天の霹靂である。チームは大揺れに揺れて,少しずつ揺れが収まり,ついには4年生が積極的に3年生キャプテンを支援しはじめ,チームはひとつになった。その渦中の中心にいて,じっと耐えた服部君の姿勢もまた立派である。それが,こんどの山登りの快挙となって報われた。
チームがひとつになれば,選手たちの目の色は変わる。選手一人ひとりがみずからの生活を律し,生きる基本から見直し,実践しはじめる。それをみんなで取り組んだ。もう,こうなれば放っておいても選手たちは走る。それも押しつけられたメニューではなく,自分に合ったメニューを考え,実践し,反省し,メニューを修正し・・・・,これを繰り返していく。ほんとうの意味の切磋琢磨がはじまる。
その結実が,箱根駅伝の総合優勝となって現れた。最高の結果である。この経験をとおして一番学んだのは選手たちであり,それを裏方で支えたチームのメンバーたちだ。素晴らしい財産を手に入れたチームのみんなに,そして,別府監督に最高の「おめでとう」を贈りたい。
この「基本の基」を忘れないかぎり,日体大の黄金時代はつづくだろう。
来年の駅伝をいまから楽しみにしよう。
No comments:
Post a Comment