雑誌『SF』(10月号)より転載 |
少しだけ解説をしておきますと,図像の中央の黒い部分が水たまりです。これが川なのか,池なのか,よくわかりません。この時代の屏風絵は,画家が勝手に想像をたくましくして,面白そうな風俗を描き込んでいますので,そのつもりでご覧ください。
図像の上の方では,明らかに花見の宴が開かれていますので,桜の咲く季節がメインになっているはずなのに,水たまりでは「水掛けごっこ」をしてはしゃいでいたり,裸になって泳いでいたりしています。これも,現実にはありえないことです。が,そんなことはおかまいなしです。泳ぎのスタイルも,抜き手でもないし,犬掻きでもないし,泳ぐ真似をしているだけのようにも見えます。どうやら浅いところのようですので,交互に手を川底について,泳ぎ遊びをしているのでしょう。
肝腎なことは,1630年(寛永年間)に,京都の庶民が泳ぎの真似ごとをして遊ぶ風俗があったということです。寛永年間といえば,江戸の上野に寛永寺が建造され,世の中がいくらか落ち着いてきたころと言っていいでしょう。関ヶ原の戦から30年後ですから。
この時代に泳ぐことのできた人といえば,漁撈に携わる漁師たちと,あとは特別の訓練を受けた武士だけです。江戸時代に入りますと,会津藩の藩校などでは人工の池をつくり,そこで泳ぎの訓練を行っていました。いまも,その藩校が再現されていますので,その池,すなわち「プール」をみることができます。また,多くの藩では,城の周囲のお掘りを使って「水練」の稽古がなされていました。もちろん,海でも水練の稽古が行われ,それが「観海流」として三重県に伝わっています。水戸藩では水府流が生まれました。
ですから,「泳ぐ」ということは,寛永年間の庶民にあっては,時代の最先端のかっこいい遊びだったのかもしれません。ですから,屏風絵にも取り込まれたのだろうと思います。
たった一枚の屏風絵から,さまざまに想像力をたくましくして,あれこれ詮索するのも愉しいものです。わずか400年遡っただけで,庶民は,こんな素朴な遊びに興じていたということに,わたしは深く考えさせられるものがありました。時代の進歩とか,発展とは,いったいどういうことなのだろうか,と。まさに,スポーツ史の根源的な問いでもあります。
みなさんも,いろいろと想像しながら楽しんでみてください。
取り急ぎ,ご紹介まで。
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