毎年1月の第四土曜日は奈良・若草山の山焼きの日。ことしは26日(土)にあった。わたしの第二の故郷へのお里帰りの日でもある。奈良の地を離れてから毎年,欠かさず通っている。もうかれこれ17,8年くらいになろうか。その間,たった一回だけ,関ヶ原に大雪が降り,新幹線が止まってしまったことがある。その年だけは残念ながら欠席。
奈良には19年間住んで,いろいろの人にお世話になった。その間も山焼きは欠かさず眺めていた。やはり,そのつど不思議な感興がわき上がってくるからだ。山に火を放って燃やす・・・。山全体が燃え上がる・・・・。山に炎が走る・・・,横に,斜めに,真上に。自然が演出する演劇空間の表出である。
人間がいくら頑張っても少しも燃えない年もある。そうかと思えば,点火して,ものの数分で炎が走って,あっという間に終わることもある。山をどのように燃やすかは,長年かけたノウハウがいろいろあるそうだ。その道のベテランから話を聞いたことがある。それでも,うまくいかないことの方が多いという。それほどに自然界を支配する力は,とうてい人智,人力の及ばないものをふんだんに蓄えているということだ。
その山焼きが,ことしはみごとだった。これまで眺めてきた山焼きのなかでは最高のできばえだった。少なくとも,35回以上は山焼きを,じっと眺めてきたわたしとしては大満足だった。ことしはいい年になりそうだ・・・・そんな予感につつまれた至福のひととき。寒さにふるえながら,奈良では最高の場所から眺め,感動を味わった。
ことしは,いつも見慣れてきた山焼きとはいささか趣が異なっていた。まずは,山焼き行事のはじまりを告げる打ち上げ花火がすごかった。いつもはほんのお印程度に打ち上げ花火と仕掛け花火があって,すぐに山焼きの点火に入る。ところが,ことしは,延々と打ち上げ花火がつづいた。これで終わりだろうと思われる8寸玉が大きな音とともに大輪の菊花を咲かせても,しばらくするとまた打ち上げ花火がはじまる。こんなことを何回もくり返す。これをみていて,ああ,奈良は元気がでてきたんだ,としみじみ思う。
JR奈良駅は見違えるほど立派な近代的な駅に生まれ変わり,駅の西側は再開発されて,さまざまな文化施設が充実している。新しいホテルも建っていて,かつての奈良駅からは大変身である。その奈良駅からまっすく春日大社に登っていくむかしのメイン・ストリートも,道路の拡幅工事とともに両側の商店街も一新する工事が進んでいる。むかしながらの古都奈良をしのばせる古い木造の商店街がほとんど取り壊され,まっさらな鉄筋コンクリートの建物のなかにしゃれた店構えの店が覇を競っている。まだ,工事半ばではあるが,その雰囲気から元気が伝わってくる。
山焼きの打ち上げ花火は,原則として,この商店街の主たちの寄付で支えられている。だから,打ち上げ花火が延々とつづくということは,みんな頑張って寄付をしているということだ。そういえば,昼中の商店街を歩いている観光客の数もいつもより多いのではないかという印象を受けた。古都奈良の観光をじっくり堪能してもらう作戦がむかしから考えられていたが,なかなか定着しなくて苦労していたように思う。それがようやく効を奏しつつあるようだ。
この景気のいい打ち上げ花火が終わると,ようやく山焼きの点火である。いつもだと,山全体を囲むように松明を持った人(奈良の消防関係者が総動員されていると聞いている)が,それぞれの松明に点火して,一斉に山に火を放つ。
ことしは違った。まず最初に二つの集団が若草山の中央の麓から隊列を組んで登っていく。別名三笠山とも呼ばれる若草山の最初の笠の上のところで二手に分かれ,一つのグループは向かって左手(北側)に移動し,もう一つのグループはその場に円陣をつくっている。やがて,この小さな円陣の松明に火が灯され,真暗な山にぽっかりと炎の輪が浮かび上がっている。しばらく,この状態がつづいたところで,左手の山際(森と草原の境界)の下から上に並んだ人たちの松明に火がつく。そして,同時に,若草山の麓に横一線に並んだ人たちの松明にも火がつく。そして,おもむろに山に火を放つ。
昼中はかなりの強風が吹いていたのに,それがまるで嘘のように,風が止んでいる。だから,放たれた火はあわてて山を走ることはしない。じつに静かに,まずは麓から横一線に,放たれた火が少しずつ草を燃やしながら上に上がっていく。そして,横(北側)からも,ゆっくりと炎が南側に移動していく。つまり,下側からと北側からの炎の線が,ほぼ直線状態で直角に交わったまま,ゆっくりと移動していく。徐々に,徐々に,この直角の二辺が右上に移動していく。こんな絵に描いたような燃え方をみるのは初めてだ。
草の乾き具合,風向き,風力,などの条件によって,千変万化する山焼きは,火を放ってみないとどのような燃え方をするかはわからない。だから,面白いのだ。毎年,眺めていても飽きることはない。むかしの人はその年の占いにも用いたという。そうだろうなぁ,と思う。現代の山焼きの説明は,山にいる害虫を駆除するのが目的だ,などともっともらしい説明をする。最初にこの山焼きを行事にしようとした人たちが,そんな合理的な発想をもっていたとは考えられない。そんなことはどうでもいいのだ。ことしは,いったい,どんな燃え方をするのだろうか,とそこに神秘的ななにかを感じ取ればそれで十分。人智・人力をはるかに超えるカミと向き合う瞬間を堪能すればいい,とわたしは身を委ねている。だから,ことしも独り,ぽつねんと,立ちつくした。
ことしはいい年になりそうだ。そして,なんらかの光明が見出せそうだ。
いまもつづく憂鬱な日々。「3・11」後,連日,信じられないことばかりが,いまも起きている。人間の根幹にかかわるなにかが崩壊しつつある。やはり,「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)を忘れてしまった人間の傲慢のつけが,ここにきて一気に噴出しているのだろう。それは,日本だけに限らず,世界中に。
わけても,日本の,政治の貧困・無能・無策。いやいや,それどころか「暴走老人」が放った「火」が燎原に燃え広がって,日本人が一気に右傾化しつつある。そして,ついに,東京都民の73%がオリンピック東京招致に賛成だという。わたしのうつ病はますますひどくなるばかりだ。
が,そんな憂さを,ことしの山焼きは晴らしてくれそうだ。そんな,藁にもすがりたい気分で,ことしの山焼きの結果にほんのわずかでもいい,なんらかの光明を見出したい。
翌朝,若草山を眺めてみたら,もののみごとに黒い焼け肌をみせていた。虎刈りでもない,斑模様でもない,全面,くまなく広がる黒い山肌。真っ青に晴れ上がった紺碧のパックと好対照をなしていた。そして,この光景を眺めながら,山辺の道を南に車を走らせる。桜井市にある「出雲」をめざして。このときから,なにかが待っている,という予感につつまれていた。
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奈良には19年間住んで,いろいろの人にお世話になった。その間も山焼きは欠かさず眺めていた。やはり,そのつど不思議な感興がわき上がってくるからだ。山に火を放って燃やす・・・。山全体が燃え上がる・・・・。山に炎が走る・・・,横に,斜めに,真上に。自然が演出する演劇空間の表出である。
人間がいくら頑張っても少しも燃えない年もある。そうかと思えば,点火して,ものの数分で炎が走って,あっという間に終わることもある。山をどのように燃やすかは,長年かけたノウハウがいろいろあるそうだ。その道のベテランから話を聞いたことがある。それでも,うまくいかないことの方が多いという。それほどに自然界を支配する力は,とうてい人智,人力の及ばないものをふんだんに蓄えているということだ。
その山焼きが,ことしはみごとだった。これまで眺めてきた山焼きのなかでは最高のできばえだった。少なくとも,35回以上は山焼きを,じっと眺めてきたわたしとしては大満足だった。ことしはいい年になりそうだ・・・・そんな予感につつまれた至福のひととき。寒さにふるえながら,奈良では最高の場所から眺め,感動を味わった。
ことしは,いつも見慣れてきた山焼きとはいささか趣が異なっていた。まずは,山焼き行事のはじまりを告げる打ち上げ花火がすごかった。いつもはほんのお印程度に打ち上げ花火と仕掛け花火があって,すぐに山焼きの点火に入る。ところが,ことしは,延々と打ち上げ花火がつづいた。これで終わりだろうと思われる8寸玉が大きな音とともに大輪の菊花を咲かせても,しばらくするとまた打ち上げ花火がはじまる。こんなことを何回もくり返す。これをみていて,ああ,奈良は元気がでてきたんだ,としみじみ思う。
JR奈良駅は見違えるほど立派な近代的な駅に生まれ変わり,駅の西側は再開発されて,さまざまな文化施設が充実している。新しいホテルも建っていて,かつての奈良駅からは大変身である。その奈良駅からまっすく春日大社に登っていくむかしのメイン・ストリートも,道路の拡幅工事とともに両側の商店街も一新する工事が進んでいる。むかしながらの古都奈良をしのばせる古い木造の商店街がほとんど取り壊され,まっさらな鉄筋コンクリートの建物のなかにしゃれた店構えの店が覇を競っている。まだ,工事半ばではあるが,その雰囲気から元気が伝わってくる。
山焼きの打ち上げ花火は,原則として,この商店街の主たちの寄付で支えられている。だから,打ち上げ花火が延々とつづくということは,みんな頑張って寄付をしているということだ。そういえば,昼中の商店街を歩いている観光客の数もいつもより多いのではないかという印象を受けた。古都奈良の観光をじっくり堪能してもらう作戦がむかしから考えられていたが,なかなか定着しなくて苦労していたように思う。それがようやく効を奏しつつあるようだ。
この景気のいい打ち上げ花火が終わると,ようやく山焼きの点火である。いつもだと,山全体を囲むように松明を持った人(奈良の消防関係者が総動員されていると聞いている)が,それぞれの松明に点火して,一斉に山に火を放つ。
ことしは違った。まず最初に二つの集団が若草山の中央の麓から隊列を組んで登っていく。別名三笠山とも呼ばれる若草山の最初の笠の上のところで二手に分かれ,一つのグループは向かって左手(北側)に移動し,もう一つのグループはその場に円陣をつくっている。やがて,この小さな円陣の松明に火が灯され,真暗な山にぽっかりと炎の輪が浮かび上がっている。しばらく,この状態がつづいたところで,左手の山際(森と草原の境界)の下から上に並んだ人たちの松明に火がつく。そして,同時に,若草山の麓に横一線に並んだ人たちの松明にも火がつく。そして,おもむろに山に火を放つ。
昼中はかなりの強風が吹いていたのに,それがまるで嘘のように,風が止んでいる。だから,放たれた火はあわてて山を走ることはしない。じつに静かに,まずは麓から横一線に,放たれた火が少しずつ草を燃やしながら上に上がっていく。そして,横(北側)からも,ゆっくりと炎が南側に移動していく。つまり,下側からと北側からの炎の線が,ほぼ直線状態で直角に交わったまま,ゆっくりと移動していく。徐々に,徐々に,この直角の二辺が右上に移動していく。こんな絵に描いたような燃え方をみるのは初めてだ。
草の乾き具合,風向き,風力,などの条件によって,千変万化する山焼きは,火を放ってみないとどのような燃え方をするかはわからない。だから,面白いのだ。毎年,眺めていても飽きることはない。むかしの人はその年の占いにも用いたという。そうだろうなぁ,と思う。現代の山焼きの説明は,山にいる害虫を駆除するのが目的だ,などともっともらしい説明をする。最初にこの山焼きを行事にしようとした人たちが,そんな合理的な発想をもっていたとは考えられない。そんなことはどうでもいいのだ。ことしは,いったい,どんな燃え方をするのだろうか,とそこに神秘的ななにかを感じ取ればそれで十分。人智・人力をはるかに超えるカミと向き合う瞬間を堪能すればいい,とわたしは身を委ねている。だから,ことしも独り,ぽつねんと,立ちつくした。
ことしはいい年になりそうだ。そして,なんらかの光明が見出せそうだ。
いまもつづく憂鬱な日々。「3・11」後,連日,信じられないことばかりが,いまも起きている。人間の根幹にかかわるなにかが崩壊しつつある。やはり,「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)を忘れてしまった人間の傲慢のつけが,ここにきて一気に噴出しているのだろう。それは,日本だけに限らず,世界中に。
わけても,日本の,政治の貧困・無能・無策。いやいや,それどころか「暴走老人」が放った「火」が燎原に燃え広がって,日本人が一気に右傾化しつつある。そして,ついに,東京都民の73%がオリンピック東京招致に賛成だという。わたしのうつ病はますますひどくなるばかりだ。
が,そんな憂さを,ことしの山焼きは晴らしてくれそうだ。そんな,藁にもすがりたい気分で,ことしの山焼きの結果にほんのわずかでもいい,なんらかの光明を見出したい。
翌朝,若草山を眺めてみたら,もののみごとに黒い焼け肌をみせていた。虎刈りでもない,斑模様でもない,全面,くまなく広がる黒い山肌。真っ青に晴れ上がった紺碧のパックと好対照をなしていた。そして,この光景を眺めながら,山辺の道を南に車を走らせる。桜井市にある「出雲」をめざして。このときから,なにかが待っている,という予感につつまれていた。
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