雑誌『世界』に以前から広告がでていたので,刊行を楽しみに待っていた。1月22日刊行。早速,近くの比較的大きな本屋に行く。同時に刊行されたほかの岩波新書は全部並んでいるのに,お目当ての『出雲と大和』だけがない。書店に聞いてみると「そのうち届くと思います」といういい加減な返事。もう,この書店は信用しない。
それからしばらくして,神田の三省堂に用事があったので(某編集者との待ち合わせ),ここならあると信じて探す。やはり,『出雲と大和』だけがない。カウンターで聞いてみる。すると,ちょっとお待ちください,と言って調べてくれる。「売り切れで増刷中です」とのこと。いつごろになりますか,と問う。「そんなに時間はかからないと思います」とのこと。
こうしてようやく手に入れたのは2月8日。奥付をみると,2月5日第二刷発行,とある。なるほど,刊行と同時に,すぐに売り切れ。そして,すぐに増刷に入ったことがわかる。こんどは大増刷をしたようで,あちこちの本屋さんに山積みにして置いてある。さて,二匹目のどじょうがそんなにうまくいくとは思えないのだが・・・・。
それにしても,この売れ方はどういうことなのか。
たしかに,いま,日本の古代史が面白い。相次ぐ発掘の結果,驚くべき考古遺物がつぎつぎに発見され,古代史の「定説」がつぎつぎにくつがえされつつあるからだ。そして,どちらかといえば,その土地に古くから伝承されてきた物語を裏づける物的証拠が多く見出される傾向がある。だから,古代史研究者のみならず,古代を専門とする歴史作家たちが,さまざまな想像力ゆたかな仮説を展開して,新たな物語を紡ぎだしつつある(この点についても,いずれ書いてみたいと思う)。じつに多くの著作がつぎからつぎへと刊行されている。枚挙にいとまがないほどである。
そんななかでひときわ異彩を放つのが,この『出雲と大和』──古代国家の原像をたずねて(村井康彦著,岩波新書)であろう。村井さんは,日本古代・中世史を専門とする研究者で,長くこの世界で仕事をしてこられた,いわゆる専門家である。1965年には『古代国家解体過程の研究』(岩波書店)という本格的な学術論文の刊行でデビューされ,早くからこの人の研究は多くの研究者から注目されてきた。現在は国際日本文化研究センター名誉教授。すでに83歳。言ってみれば,今回の新書はライフ・ワークの総決算にも値するみごとな作品となっている。その論旨の構築の仕方もゆるぎなく,きわめて説得力がある。
いまも,全国各地の「出雲」がらみの伝承を頼りに,自分の足で現地をたずね,自分の目で確かめ,関係者の話に耳を傾け,そして,『魏志倭人伝』や『風土記』や『記紀』などの古代史に関する基本文献を徹底的に読み込み,そこに書かれていることの真偽を問いつつ,再読解を試み,新たな仮説を立てて,その傍証を固める,という村井さん独自の研究スタイルを踏襲していらっしゃる。そうして誕生したのが,この『出雲と大和』である。
その結論は,「邪馬台国は出雲勢力の立てたクニであった」(P.250.)という衝撃的なものである。最初のページから丹念に読みつないで,この結論までたどりついたとき,一読者にすぎないわたしは,なんの疑念もいだくことなく,すんなりとこの結論をそのまま受け入れていた。そして,静かな,深い感動すらおぼえた。やはり,そうだったのだ,と。
わたし自身は,まったく別の興味関心から野見宿禰の実像をさぐってきた。もちろん,あの相撲の話が直接的な引き金となっているのだが。そして,近々では,ようやく桜井市の「出雲」の地に足を運んで,その地に立ち,周辺を歩き回って空気を吸い,地形や景色を眺めながら,さまざまな推理をはたらかせることをしたばかりである(1月27日)。そして,明治になるまで存在したという野見塚の碑の立っているところにも足をはこんだ。塚をつくるのは野見宿禰が死んだあとに残された人びとだ。その人びとにとって大事な人だからこそ,そこに塚をつくる。それを土地の人たちは大事に守ってきたはずだ。それを,なにゆえに,わざわざ野見塚を取っ払ってしまったのか。碑文によれは,明治政府の農地改革のため,とある。しかし,猫の額のような面積の田んぼしかそこにはない。それを田んぼにしたからといってなんの功徳があるというのだろうか。そこには明らかに権力サイドからの強い「他意」が感じ取られる。しかも,いまも碑の前の花は枯れることはないという。地元の人たちにとっては忘れてはならない大事な「記憶」なのだ。そのことのもつ意味の大きさが,わたしにはひしひしとつたわってくる。
そんな,多少なりとも,わたしなりの予備知識もあったので,村井さんの気宇壮大な出雲研究は,なおさらにわたしを圧倒した。その一つひとつがこころの底から納得できるものだった。
この本の提示している,いくつかの思考のヒントをもとに,わたしも,あちこち尋ね歩いてみたいと思っている。少なくとも,大和盆地のなかだけでも・・・・。三輪山の存在がますます大きくなってくる。「国譲り」をしたとはいえ(この実態がどのようなものであったかは,いまだに不明),この三輪山には大和朝廷といえども指一本触れさせてはいないのである。そして,むかしながらの磐座信仰を,こんにちにまで伝承しているのだ。このことのもつ意味について深く考えてみたい。そして,そのことと野見宿禰伝承が関西方面に,かなり広い範囲で残っていることとは無縁ではない,とわたしは考えている。しかも,野見宿禰の直系の子孫から菅原道真が登場する。そして,あの太宰府流しという悲劇が生まれる。それを仕組んだのは藤原氏の末裔たちだという。そこには,とんでもない古代史の深い「闇」が潜んでいるらしい。
わたしたちは,どうやら,嘘の古代史を教えられてきたらしい。その一角をもののみごとに崩す,立派な仕事のひとつとしてのこの『出雲と大和』の刊行は,歴史的事件にも等しいとわたしは受けとめた。ご一読をお薦めしたい。
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それからしばらくして,神田の三省堂に用事があったので(某編集者との待ち合わせ),ここならあると信じて探す。やはり,『出雲と大和』だけがない。カウンターで聞いてみる。すると,ちょっとお待ちください,と言って調べてくれる。「売り切れで増刷中です」とのこと。いつごろになりますか,と問う。「そんなに時間はかからないと思います」とのこと。
こうしてようやく手に入れたのは2月8日。奥付をみると,2月5日第二刷発行,とある。なるほど,刊行と同時に,すぐに売り切れ。そして,すぐに増刷に入ったことがわかる。こんどは大増刷をしたようで,あちこちの本屋さんに山積みにして置いてある。さて,二匹目のどじょうがそんなにうまくいくとは思えないのだが・・・・。
それにしても,この売れ方はどういうことなのか。
たしかに,いま,日本の古代史が面白い。相次ぐ発掘の結果,驚くべき考古遺物がつぎつぎに発見され,古代史の「定説」がつぎつぎにくつがえされつつあるからだ。そして,どちらかといえば,その土地に古くから伝承されてきた物語を裏づける物的証拠が多く見出される傾向がある。だから,古代史研究者のみならず,古代を専門とする歴史作家たちが,さまざまな想像力ゆたかな仮説を展開して,新たな物語を紡ぎだしつつある(この点についても,いずれ書いてみたいと思う)。じつに多くの著作がつぎからつぎへと刊行されている。枚挙にいとまがないほどである。
そんななかでひときわ異彩を放つのが,この『出雲と大和』──古代国家の原像をたずねて(村井康彦著,岩波新書)であろう。村井さんは,日本古代・中世史を専門とする研究者で,長くこの世界で仕事をしてこられた,いわゆる専門家である。1965年には『古代国家解体過程の研究』(岩波書店)という本格的な学術論文の刊行でデビューされ,早くからこの人の研究は多くの研究者から注目されてきた。現在は国際日本文化研究センター名誉教授。すでに83歳。言ってみれば,今回の新書はライフ・ワークの総決算にも値するみごとな作品となっている。その論旨の構築の仕方もゆるぎなく,きわめて説得力がある。
いまも,全国各地の「出雲」がらみの伝承を頼りに,自分の足で現地をたずね,自分の目で確かめ,関係者の話に耳を傾け,そして,『魏志倭人伝』や『風土記』や『記紀』などの古代史に関する基本文献を徹底的に読み込み,そこに書かれていることの真偽を問いつつ,再読解を試み,新たな仮説を立てて,その傍証を固める,という村井さん独自の研究スタイルを踏襲していらっしゃる。そうして誕生したのが,この『出雲と大和』である。
その結論は,「邪馬台国は出雲勢力の立てたクニであった」(P.250.)という衝撃的なものである。最初のページから丹念に読みつないで,この結論までたどりついたとき,一読者にすぎないわたしは,なんの疑念もいだくことなく,すんなりとこの結論をそのまま受け入れていた。そして,静かな,深い感動すらおぼえた。やはり,そうだったのだ,と。
わたし自身は,まったく別の興味関心から野見宿禰の実像をさぐってきた。もちろん,あの相撲の話が直接的な引き金となっているのだが。そして,近々では,ようやく桜井市の「出雲」の地に足を運んで,その地に立ち,周辺を歩き回って空気を吸い,地形や景色を眺めながら,さまざまな推理をはたらかせることをしたばかりである(1月27日)。そして,明治になるまで存在したという野見塚の碑の立っているところにも足をはこんだ。塚をつくるのは野見宿禰が死んだあとに残された人びとだ。その人びとにとって大事な人だからこそ,そこに塚をつくる。それを土地の人たちは大事に守ってきたはずだ。それを,なにゆえに,わざわざ野見塚を取っ払ってしまったのか。碑文によれは,明治政府の農地改革のため,とある。しかし,猫の額のような面積の田んぼしかそこにはない。それを田んぼにしたからといってなんの功徳があるというのだろうか。そこには明らかに権力サイドからの強い「他意」が感じ取られる。しかも,いまも碑の前の花は枯れることはないという。地元の人たちにとっては忘れてはならない大事な「記憶」なのだ。そのことのもつ意味の大きさが,わたしにはひしひしとつたわってくる。
そんな,多少なりとも,わたしなりの予備知識もあったので,村井さんの気宇壮大な出雲研究は,なおさらにわたしを圧倒した。その一つひとつがこころの底から納得できるものだった。
この本の提示している,いくつかの思考のヒントをもとに,わたしも,あちこち尋ね歩いてみたいと思っている。少なくとも,大和盆地のなかだけでも・・・・。三輪山の存在がますます大きくなってくる。「国譲り」をしたとはいえ(この実態がどのようなものであったかは,いまだに不明),この三輪山には大和朝廷といえども指一本触れさせてはいないのである。そして,むかしながらの磐座信仰を,こんにちにまで伝承しているのだ。このことのもつ意味について深く考えてみたい。そして,そのことと野見宿禰伝承が関西方面に,かなり広い範囲で残っていることとは無縁ではない,とわたしは考えている。しかも,野見宿禰の直系の子孫から菅原道真が登場する。そして,あの太宰府流しという悲劇が生まれる。それを仕組んだのは藤原氏の末裔たちだという。そこには,とんでもない古代史の深い「闇」が潜んでいるらしい。
わたしたちは,どうやら,嘘の古代史を教えられてきたらしい。その一角をもののみごとに崩す,立派な仕事のひとつとしてのこの『出雲と大和』の刊行は,歴史的事件にも等しいとわたしは受けとめた。ご一読をお薦めしたい。
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