この絵は,フランス印象派の画家アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley 1839-1899)が,1870年代に描いた「河辺」(ハンプトンコートのテムズ河)というタイトルの絵です。シスレーが,父親の倒産と死を機に,両親の故郷イギリスに移住したばかりのころに描いた絵です。かれは早くから画家をめざしますが,本格的に多作になるのは,イギリスに移住してからだと言われています。
印象派といえば,ふたつのことがわたしの脳裏に浮かんできます。
ひとつは,色の問題であり,もうひとつは,自然と人間との関係です。前者については,絵画の対象そのものに色があるのではなくて,光を受けてはじめて対象の色が現れる,という考え方です。たとえば,陰となる対象は,対象そのものが黒い色をもっているのではなくて,たまたま光が当たらないために黒くみえるだけであって,光が当たれば,その光の強さ,角度によって色が刻々と変化していくのだ,という考え方です。ですから,印象派の画家たちは陰影をも色で表現しようと努めます。
わたしが最初に驚いたのは,空の色と水の色でした。こんなにも色鮮やかな空も水もみたことはありません。わたしの小学校時代の絵の描き方は,もっぱら写真のように描く,いわゆる写実でした。しかも,空は空色,水は水色と決まっていました。それ以外の色を塗ることは考えられませんでした。これが「写実」といえるかどうかは問題ですが・・・。ですから,空も水もひとつの色を塗れば,それで終わりでした。しかし,印象派の画家たちの描く空や水は,なんと豊かな色をしていることか,とまずはそのことに驚きました。
対象は光を受けて色を発する,というこの考え方は,それまでの自然をみるわたしの眼に革命を起こしました。そして,なにより自然と真っ正面から向き合うことの重要さを教えてくれました。しかも,時々刻々と自然の色は変化しつづけているということを全身で,じかに感じたときの感動はいまも忘れることはできません(南アルプス・北岳山頂から眺めた夕景,三浦半島葉山のレストランから眺めた富士山の夕景,など)。そういう眼でシスレーのこの絵を眺めてみますと,あきることなく,ぞんぶんに楽しむことができます。
もうひとつの自然と人間との関係については,以下のとおりです。シスレーよりも少し前に,マネが『草上の昼食』(1863年,オルセー美術館蔵)という勇名な絵を発表してセンセーションを巻き起こします。郊外の森のなかの草の上に坐って昼食をとっている紳士たちのなかに,ひとりだけ裸婦が横たわっている,あの絵です。絵画のなかの裸婦もまた,大自然のなかに放り出されることによって,それまでとはまったく違った美しい「色」を発するようになります。新たなるオブジェの登場です。マネが着目したのはそこでしょう。しかも,そうすることによって,本来が自然であるべき人間の身体がふたたび自然のなかに融合していく,その瞬間,瞬間のもっとも美しい裸婦を描き込むことがマネにとってのひとつの大きな実験だったのでしょう。
この絵が引き金となって,多くの印象派と呼ばれる画家たちが登場し,活動するようになります。しかし,マネ自身は印象派の画家たちと活動をともにすることはありませんでした。が,マネの描いた『睡蓮』(大作で,しかも,いくつものヴァリエーションを生み出した)は,のちの印象派の画家たちに大きな影響を与えることになりました。
自然と人間との関係をどのように認識するか。この問題は,当時の人びとの暮らし方にも大きな変化を与えました。たとえば,家のなかに閉じ籠もりがちであった若い女性たちが,装いも新たにした軽やかなデザインのおしゃれをして,積極的に野外に飛び出してくるようになりました。ちょうど,この時代に,ローン・テニスやクロッケーや自転車やハイキング・登山が大流行します。その原動力となったのは,活動的な軽装の若い女性たちでした。自転車に乗るための専用の女性用ファッションの誕生は,のちのスポーツ服のさきがけとなりました。
そのきっかけをつくったのは,印象派の画家たちではなかったか,というのがわたしの仮説です。このシスレーの絵も,人物は小さく描かれていますが,野外にでて散策したり,ボートを浮かべて漕いでみたり,ヨットを浮かべたり,という当時の最先端の流行の対象(オブジェ)が描き込まれています。もはや,人物もまた,大自然の放つ光のなかに溶け込んでしまって,たんなる色の一部と化しています。こういう自然と人間の一体感が,19世紀末から20世紀初頭にかけてのスポーツの隆盛と無縁であったとは考えられません。
こんな風に,スポーツ史・スポーツ文化論的なアングルから絵画作品を楽しむのも一興かと,ちかごろはしみじみおもいます。
なお,このシスレーの絵に注目して,こんなことを書いたのは理由があってのことです。いま,ある雑誌(『SF』Sports Facility,体育施設出版)で「絵画にみるスポーツ施設の原風景」という連載を隔月で担当しています。その締め切りが昨日(30日)でした。それを書き上げて,原稿を送信したのですが,字数がほんのわずかなキャプション程度のものでしかありませんでしたので,その欲求不満をここで解消しようと考えた次第です。これだけの分量の文章を書いておけば,わたしの頭のなかを駆けめぐっていることがらのおおよそのことは吐き出せた,とこれは自己満足。というか,ひとつのメモリーとして整理できた,とやはり自己満足。
みなさんは,この絵をどのようにご覧になり,この文章をどのように読まれたでしょうか。ご意見などお聞かせいただければ幸いです。
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