Tuesday, January 29, 2013

ことしのウィーン・フィルの「ニュー・イヤー・コンサート」,いささか失望。

 元旦恒例のウィーンの「ニュー・イヤー・コンサート」を楽しみに聞いた。正直に言おう。いささか「失望」。どうして,あんなプログラムを組んだの?と聞いてみたい。耳慣れたウィーンフィルのプロの人たちには,斬新なプログラムでとても素晴らしかった,ということなのかも知れない。しかし,素人のわたしにしてみれば,やはり,新春のウィーンを彷彿とさせてくれるいつもの,お馴染みの耳に馴染んでいるウィーナー・ワルツやポルカが聞きたかった。これが正直な感想。

 去年の一年間のいやな思い出もすべて忘れて,新しい気分で新年を迎えたい,わたしにとってはそのための儀礼でもある「ウィーン・ニュー・イヤー・コンサート」。ウィーンの人びともそう思っているはず。それが,ことしはいささか趣を異にした。これまであまり聞いたことのないシュトラウス系の珍しい音楽を集めて聞かせてもらえたという点では文句はない。しかし,新年のプログラムではなかった,とわたしは思う。毎年,恒例のウィーンの華やかさに欠けた。

 わたしのような素人には,やはり,音楽に合わせて舞われるウィーナー・ワルツが見たかった。ウィーンのシェーンブルン宮殿の,ふだんは公開されていない美しい装飾で飾られた広間をぞんぶんに活用して舞い踊るダンサーたちの,極限の美しさともいうべきダンスが見たかった。加えて,ウィーン・フィルが得意とするポルカを聞きたかった。少しずつ音がずれることによって夢幻のふくらみを思わせるウィーン・フィルならではの演奏を楽しみにしていた。近代音楽にして近代からはみ出していくような,なんともゆるい音の広がりが聞きたかった。なぜなら,その微妙にはずれていて,なおかつ,微妙に心地よい,そういう音楽はウィーン・フィル以外には聞けないから。

 ウィーン・フィルの演奏家たちは,よくよくみているとどことなく顔の赤くなった人が混じっている。ことしも何人かいた。間違いなくワインを飲んで,自分のベスト・コンディションにして,この演奏会に臨んでいるはすだ。日本では考えられないかもしれないが,ウィーンではなんの不思議もない。あたりまえのことだ。なぜなら,もし,それで失敗したら全責任をみずから負うことを覚悟して,この演奏に臨んでいることは間違いないからだ。聴衆もそれを承知して,最終的に,いい音楽を聴かせてもらえればそれでいいという了解事項が成立している。

 これは大学の授業も同じだ。わたしが,以前,世話になったUniv.Prof.Dr.Strohmeyerは,毎週一回,わたしと一緒にランチをとり,そのあと授業をするという時間割があった。そのランチのときに,かれはワインを一本飲みながら昼食をとり,それから授業に臨んだ。授業の途中から,徐々に顔が赤くなってきて,最後には真っ赤になっていた。それでも,授業は徐々に調子が上がってきて,学生たちを大満足させるみごとなものだった。授業が終わると,学生たちはみんな机をコツコツと叩いた,教授への称賛の意を表したものだ。わたしも聞いていて,なるほど,これは素晴らしいと感動したものだ。これを日本でできたらいいなぁ,と羨ましく思ったものだ。

 またあるとき,ウィーン・フィルがベートーベンの第九を演奏するというので,いまは世界遺産になっている修道院まで(ウィーンからかなり遠い)聞きに行ったことがある。そのとき,一緒に案内してくれた,いまは亡きFrau Buchta(Marliese)が,修道院の庭園のなかにあるレストランに連れていってくれた。そのとき,ガーデンのたくさんのテーブルを囲んでワインを飲んでいる,かなり大勢の不思議な集団がいた。Frau.Buchtaが,わたしの耳に口を寄せて,あそこでワインを飲んでいる人たちの顔をよく覚えておきなさい,という。なんのことなのかわからないまま,わかった,と返事をしてそれとなく顔を観察しておいた。

 演奏会場に行ってみたら,わたしたちの席は前から二列目。なんと,目の前にさっきのワインを飲んでいた人たちがずらりと坐っているではないか。そして,よくよくみると何人かの人はすでに顔が赤い。それでも,演奏がはじまるとそれはそれはみごとな集中ぶりだった。この人たちは地方にでたときの方がいい演奏をする,とFrau Buchta。

 毎年のウィーンのニュー・イヤー・コンサートが行われるウィーン楽友会館のホールは,Frau Buchtaに連れられて何回も通った懐かしいところだ。ブログラムの第一部と第二部の間の休憩時間には,多くの人がホールの隣にあるカフェに行って,立ったままおしゃべりを楽しみながらシャンパンを呑む。ゲップがでるといけないので,みんな丁寧にシャンパンのガスを抜くために持参のスティア・バーでせっせとカップをかき混ぜながら,演奏の評論を楽しんでいる。その場にも立ち会わせてもらった経験がある。

 そんなことも思い浮かべながら,毎年,この「ニュー・イヤー・コンサート」を特別の思いで楽しみにしている。が,今回はいつもお馴染みの「鍛冶屋のポルカ」も「美しき青きドナウ」もプログラムから落ちていた。なので,途中で聴くのを放棄してしまった。ひょっとしたら,アンコール曲のなかにあったのかもしれない。しかし,その前に,もういい,という気分になってしまった。わたしの期待していたダンスや,ウィーン乗馬学校の馬の演技や,そして,演奏される曲目によって必ず映し出されるお馴染みのウィーンの風景,などが今回は見られなかった。

 ウィーンの「根の根」ともいうべきヨハン・シュトラウスの名曲の数々を聴きながら,ウィーンのお馴染みの風景を眺めるというのが,この「ニュー・イヤー・コンサート」の楽しみだ,とわたしは期待していたのだが・・・。さて,ことしの演奏をどう思うか,ウィーンの友人の意見を聞いてみようと思って,早速,メールを送信してみた。さて,なんという感想が返ってくるのだろうか。いまから,楽しみ。

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