Monday, February 25, 2013

『銀しゃり抄』(稲垣瑞雄著,中央公論新社刊)が香典返しになるとは・・・・。

 ことしいただいた年賀状には,1月末に『銀しゃり抄』が出ます,秋には二人誌『双鷲』が80号を迎えます,そうしたらお祝いをしますのでよろしく,とあった。宛て名書きの毛筆も,いつもどおりの達筆で,お元気そのものだった。

 長い闘病生活がつづいていることは『双鷲』をとおして知らされていた。が,創作へのあくなき情熱が病いを克服するさいこうの良薬である,とみずから書きつけていたように,何回もの死線をうまくクリアしては作家としての意地をみせつけていた。もちろん,その陰には奥さん(信子さん:作家の楢信子)のなみなみならぬ献身的な看護(あらゆる手だてを講じて,なんとしても救出してみせるという強い信念もみごとだった)があってのことだ。

 わたしはこの年賀状をしげしげと眺めながら,ああ,元気なんだ,久しぶりにお会いすることができるなぁ,と秋がくるのを楽しみにしていた。そして,早速,『銀しゃり抄』を購入して,その研ぎ澄まされた人間観察と文体を堪能していた。『双鷲』に連載されていた短編集なので,すでに,内容については了解していた。しかし,こうして単行本になると,また,一味ちがった新鮮なものが伝わってくる。なので,一編ずつ,丁寧に読むことをこころがけていた。そして,こんどお会いするときにはどんな話をおねだりしようかなぁ,といろいろの思い出をたぐったりして楽しんでいた。が,その夢はかなえられなかった。

 2月23日,虚血性心疾患。26日の新聞に載った訃報をみつけて,あっ,と小さな声をあげた。しばらくは,その紙面をじっと眺めていた。なぜか,次第に,これまでに感じたことのない寂寥感がわたしの全身を襲った。こんなことは初めてだった。これまでにも多くの先輩たちを見送ってきた。そのつど,なにがしかの感懐はあった。が,それらともまるで違う,別物だった。稲垣瑞雄の存在が,わたしにとってどんなものだったのか,ということが次第に鮮明になってきた。それまでは考えたこともなかった思いが次第に姿を表してきた。考えてみれば,瑞雄さんの書かれる小説は好きで,かなりまじめに読んでいた。同じ時代の同じ地方の同じ空気を,そして,同じ人情をそこから読み取ることができたから,いずれの作品も他人事ではなかった。

 なかでも『風の匠』(岩波書店)には泣かされた。この作品のなかに登場する「記憶力抜群の老婆」のところは何回,読み返したことか。そして,そのつど,わたしは嗚咽した。なにを隠そう,この老婆こそ瑞雄さんとわたしが共有する祖母がモデルとなっていた。この祖母とわたしは,一度だけ,手をつないで約1里の畑道を歩いたことがある。わたしが小学校の4年生の夏(1947年)だった。敗戦直後の,まだ,食べ物も着るものもままならないときの経験である。「マサヒロさん,あんたはいい子だねぇ。やさしい立派な人になれるよ」と言ってくれたことばがいまも記憶に鮮明である。祖母は,だれに対しても「さん」づけで呼びかけた。息子であるわたしの父にも「カイシンさん」と呼びかけていた。わけへだてのない姿勢は,じつに立派だった。

 瑞雄さんは,この作品のなかに登場する主人公たちを,ある種のとくべつのリスペクトを抱きながら,気持ちを籠めて丁寧に描いている。その感情の籠め方,豊穣さ,広がりが,わたしにはよく伝わってきた。ああ,瑞雄さんはこんな人だったんだ,とあらためて認識したこともよく覚えている。だから,わたしにとっての瑞雄さんは,いつのまにかとくべつな存在になっていたのだ。わたしの知らないうちに。無意識のうちに。だから,訃報が,眼に痛かった。

 いま,わたしの手元には2冊の『銀しゃり抄』がある。1冊は,わたしが購入したもの。もう1冊は,なかに「謹呈 稲垣瑞雄」のしおりの入ったもの。つまり,香典返し。こんな結末をだれが予想しただろう。ご本人はもとより,信子さんも,こんなに突然に・・・とは思ってもみなかったことだろう。信子さんのお話では「ぼくはまだ108編の短編を書き終えてはいない」と,まだまだ書く意欲は満々だったとのこと。

 『銀しゃり抄』。薄いピンクがかったハードカバーのおしゃれな本。その上に,川端玉章による鮨の図(明治10年)を載せたカバーが被せてある。装丁も本文レイアウトもとても神経のゆきとどいたいい本に仕上がっている。

 そして,帯に踊るコピーの文句がいい。

   舞い踊る 鮨の醍醐味
 精魂こめて紡ぎ出された色と形
  立ち昇る香り 返しの手捌き
 君はその誘惑に勝てるだろうか

 瑞雄さんの笑顔が,このコピーの向こう側から透けてみえてくる。
 瑞雄さんは,わたしのもっとも尊敬していた,自慢の従兄弟だったのだ。そのことに,通夜の読経を聞きながら,ようやく思い至った。いつまでも鈍感な,情けないわたしである。

 それにしても,久しぶりに聞く,気持ちの籠もった天下一品の読経に酔い痴れた。まるで,導師と瑞雄さんが会話しているように聞こえた。これだけが唯一の通夜の夜の救いでもあった。

 瑞雄さんのご冥福をこころから祈りたい。合掌。

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