ことしも箱根駅伝に見入ってしまった。毎年,いくつかのドラマが生まれる。それを演出する選手たちのひたむきな姿勢がいい。みんな一生懸命だ。一年間,この日のために頑張ってきたのだ。その晴れの舞台,それが箱根駅伝だ。感動の源泉は無尽蔵だ。
テレビ中継をみながら,「あっ!」と思わず声をあげてしまったシーンがあった。5区の,あの箱根の山登りに入ったときだ。山登りの「神様」とその名を知らしめた柏原竜二のことばだ。ことしの5区をまかされた東洋大の後輩に伝えたということば。「山登りは股関節で走れ。つま先ではない」と。なぜか,わたしのこころにすとんと落ちるものがあった。
その柏原竜二がこんどは解説者として,この箱根駅伝に参加していた。そして,レースの途中で何回も意見を求められ,そのつど,いくつかの名言を吐いていた。やはり,名選手と呼ばれるような人は自分のやるべきことについてはとてもよく考えている,としみじみ思った。その名言のうち,わたしの脳裏に深く刻まれたものをいくつか紹介しておこう。
〇体重を前へ前へと押し出し,股関節で走る。つま先ではない。
このことばを聞いてピンときたのは,太極拳と同じだ,というものだ。たとえば,表演をはじめるときの直立の姿勢。体重をやや前にかけ,股関節も膝もきゅっと締めて立つ。その姿勢から足を一歩左に踏み出す。そのときのコツは股関節のつかい方にある。右足に体重をかけながら左足の股関節をゆるめる。そこからあとの動作はすべて股関節を自由自在にゆるめることによって,美しく,力強い武術の表演が可能となる。この股関節をいかにゆるめるか,いかに上手にコントロールするか,これが太極拳習熟のもっとも大きなポイントとなる。
だから,わたしは,ふだん歩くときも股関節をゆるめることを意識している。そして,いかに滑らかに,無駄な動きのない歩行が可能となるのか,探っている。そのとき大事なことは,前に送り出した足のかかとからつま先にと着地面が移っていくときに,軸足の股関節をゆるめることだ。この軸足の股関節をゆるめながら体重も滑らかに前に移動させる。すると,軸足のつま先で地面を蹴るという感覚ではなく,自然に体重が移動して,つま先が地面から離れることになる。
これはなんのことはない,忍者の歩行と同じだ。忍者はいかなる場合にも足音をたててはいけない。みずからの存在を消すための初歩の初歩である。いわゆる忍び足である。このとき上体を前後に揺らさないで,やや前傾した姿勢を保つ。そのまま歩行すると,スピードを自在にコントロールすることができる。かつての名ランナー,末続選手の「忍者走り」はこのようにして生まれた。これを箱根駅伝の山登りに応用したものが,なんと柏原選手の走りだったのだ。
太極拳の歩行は,この忍者歩きをスローモーションにしたものだ。もっと精確に言っておけば,歩行運動をできるだけこまかく分節化して,その一つひとつを確認しながら,体重を移動させる。これが,まず,最初の基本の稽古である。この歩行が無意識のもとでできるようになること,これが習熟するということ,つまり,上手になるということだ。わたしの師匠の李自力老師が,太極拳の稽古のときにみせる歩行がこれだ。それはアートと呼ぶべき美しさだ。
柏原選手は,厳しい練習をとおして,このことに気づき,わがものとしたのだろう。エネルギー消費の少ない,もっとも効率的な走りは,この忍者歩きに通じているのだ。
もう一つの名言。
〇自分のリズムで走れ。自分のからだの感覚を信じろ。
人の走りにつられるな。自分の走りのリズムをまず整えよ。そのリズムがつかめたら,あとは自分のからだの感覚を信じて走れ。いけると思ったらどんどん攻めろ。そのリズムで走り切ることだ。
まず,箱根湯本駅までの平坦路で,その日の走りのリズムを整えること。ここまででリズムをつかみ,あとは自分のからだの声に耳を傾けながら,自分を攻めていくのだ。
とても含蓄のあることばだ。第一に,「自分のリズム」とはどういうものか。もっと言ってしまえば,「リズム」とはなにか。クラーゲス(『リズムの本質』みすず書房)のいう「リズム」は,表現するものではなくて表出するものだ,という。つまり,自分でつくりだすものではなく,からだの奥底から「表出」(Ausdruck)してくるものだ,という。そこに身を委ねろ,と柏原竜二は言っているようにわたしの耳には聞こえてくる。
もうひとつは「からだの感覚」だ。これも日頃の練習をとおして身につける以外にはない。まことにデリケートな自己問答を積み重ねながら,身につけるしかない。よく「からだの声」を聞け,という。さあ,どうやって,その声を聞けばいいのか。まるで禅問答のような話でもある。柏原竜二はそういう世界を通過してきた人間なのだ,ということがわかる。やはり,山登りの神様は生きている世界が違うのだ。
言うは易し,行うは難し。この極意を身につけるための密度の濃い練習が大事なのだ。だから,日頃の練習から,ただ,たくさん走ればいいというのではなくて,いかに内容のある走り方をするかが問われることになる。長距離界には,「距離を踏む」練習をしろ,という言説があると聞いている。そのことの意味は,こんなところに隠されているように,わたしは思う。
ここにも太極拳の極意に通ずるものがある。
以上,箱根駅伝から得られた,ことし早々の,わたしの収穫。
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テレビ中継をみながら,「あっ!」と思わず声をあげてしまったシーンがあった。5区の,あの箱根の山登りに入ったときだ。山登りの「神様」とその名を知らしめた柏原竜二のことばだ。ことしの5区をまかされた東洋大の後輩に伝えたということば。「山登りは股関節で走れ。つま先ではない」と。なぜか,わたしのこころにすとんと落ちるものがあった。
その柏原竜二がこんどは解説者として,この箱根駅伝に参加していた。そして,レースの途中で何回も意見を求められ,そのつど,いくつかの名言を吐いていた。やはり,名選手と呼ばれるような人は自分のやるべきことについてはとてもよく考えている,としみじみ思った。その名言のうち,わたしの脳裏に深く刻まれたものをいくつか紹介しておこう。
〇体重を前へ前へと押し出し,股関節で走る。つま先ではない。
このことばを聞いてピンときたのは,太極拳と同じだ,というものだ。たとえば,表演をはじめるときの直立の姿勢。体重をやや前にかけ,股関節も膝もきゅっと締めて立つ。その姿勢から足を一歩左に踏み出す。そのときのコツは股関節のつかい方にある。右足に体重をかけながら左足の股関節をゆるめる。そこからあとの動作はすべて股関節を自由自在にゆるめることによって,美しく,力強い武術の表演が可能となる。この股関節をいかにゆるめるか,いかに上手にコントロールするか,これが太極拳習熟のもっとも大きなポイントとなる。
だから,わたしは,ふだん歩くときも股関節をゆるめることを意識している。そして,いかに滑らかに,無駄な動きのない歩行が可能となるのか,探っている。そのとき大事なことは,前に送り出した足のかかとからつま先にと着地面が移っていくときに,軸足の股関節をゆるめることだ。この軸足の股関節をゆるめながら体重も滑らかに前に移動させる。すると,軸足のつま先で地面を蹴るという感覚ではなく,自然に体重が移動して,つま先が地面から離れることになる。
これはなんのことはない,忍者の歩行と同じだ。忍者はいかなる場合にも足音をたててはいけない。みずからの存在を消すための初歩の初歩である。いわゆる忍び足である。このとき上体を前後に揺らさないで,やや前傾した姿勢を保つ。そのまま歩行すると,スピードを自在にコントロールすることができる。かつての名ランナー,末続選手の「忍者走り」はこのようにして生まれた。これを箱根駅伝の山登りに応用したものが,なんと柏原選手の走りだったのだ。
太極拳の歩行は,この忍者歩きをスローモーションにしたものだ。もっと精確に言っておけば,歩行運動をできるだけこまかく分節化して,その一つひとつを確認しながら,体重を移動させる。これが,まず,最初の基本の稽古である。この歩行が無意識のもとでできるようになること,これが習熟するということ,つまり,上手になるということだ。わたしの師匠の李自力老師が,太極拳の稽古のときにみせる歩行がこれだ。それはアートと呼ぶべき美しさだ。
柏原選手は,厳しい練習をとおして,このことに気づき,わがものとしたのだろう。エネルギー消費の少ない,もっとも効率的な走りは,この忍者歩きに通じているのだ。
もう一つの名言。
〇自分のリズムで走れ。自分のからだの感覚を信じろ。
人の走りにつられるな。自分の走りのリズムをまず整えよ。そのリズムがつかめたら,あとは自分のからだの感覚を信じて走れ。いけると思ったらどんどん攻めろ。そのリズムで走り切ることだ。
まず,箱根湯本駅までの平坦路で,その日の走りのリズムを整えること。ここまででリズムをつかみ,あとは自分のからだの声に耳を傾けながら,自分を攻めていくのだ。
とても含蓄のあることばだ。第一に,「自分のリズム」とはどういうものか。もっと言ってしまえば,「リズム」とはなにか。クラーゲス(『リズムの本質』みすず書房)のいう「リズム」は,表現するものではなくて表出するものだ,という。つまり,自分でつくりだすものではなく,からだの奥底から「表出」(Ausdruck)してくるものだ,という。そこに身を委ねろ,と柏原竜二は言っているようにわたしの耳には聞こえてくる。
もうひとつは「からだの感覚」だ。これも日頃の練習をとおして身につける以外にはない。まことにデリケートな自己問答を積み重ねながら,身につけるしかない。よく「からだの声」を聞け,という。さあ,どうやって,その声を聞けばいいのか。まるで禅問答のような話でもある。柏原竜二はそういう世界を通過してきた人間なのだ,ということがわかる。やはり,山登りの神様は生きている世界が違うのだ。
言うは易し,行うは難し。この極意を身につけるための密度の濃い練習が大事なのだ。だから,日頃の練習から,ただ,たくさん走ればいいというのではなくて,いかに内容のある走り方をするかが問われることになる。長距離界には,「距離を踏む」練習をしろ,という言説があると聞いている。そのことの意味は,こんなところに隠されているように,わたしは思う。
ここにも太極拳の極意に通ずるものがある。
以上,箱根駅伝から得られた,ことし早々の,わたしの収穫。
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