Wednesday, July 31, 2013

全柔連につける薬なし。評議員会,お前もか。

 開いた口が塞がらない,とはこのことだ。内閣府公益認定等委員会から前代未聞の「勧告」がくだされて,いよいよ全柔連の理事会も評議員会も待ったなしの決断を迫られ,それなりの「腹」のくくり方をするものだとわたしは信じていた。しかし,そうではなかった。この人たちはまだまだことの真相がなにもわかってはいない,病重篤の人びとだと知った。

 昨夜,あちこち飛び交っていた情報によれば,了徳寺評議員が提案する予定の動議(前理事の辞任,ゼロからの再出発,など)を支持する評議員が圧倒的多数を占めるにいたった,ということだった。しかし,一夜明けた今日になってみると,がらりと様子が変わり,またまた現執行部支持の票決となった。この一夜のうちになされたらしい「工作」がどのようなものであったのかは,わたしたちの知るよしもないところだ。しかし,なにかがあったな?とはおもう。でなければ,こんな結果にはならなかったはずである。

 理事会の自浄能力が低下したときにこそ,評議員会が冷静に,客観的に,良識ある判断をしてその組織を守らなくては,その存在理由はない。その最後の頼みの綱である評議員会までもが「毒」で汚染されてしまっていた。もはや,全柔連につける薬はない。

 上村会長が8月末までに辞任する,と表明したとか。前にもそんな話を聞いた覚えがある。しかも,まもなく撤回された。そして,発したことばは「改革の目処が立ち次第」辞任する,ということだった。こんどもまた同じ「改革の目処をつけて」辞任するという。それも前倒しして,とか。わたしは信じない。一度,辞任というような重大な決意表明を撤回した人間は,また,同じことをやるだろうとおもっている。世の中の多くの人たちは,また,嘘をつくのか,また,騙すのか,そのための時間稼ぎか,とわたしと同じように受け止めているはずだ。それは,盗みの常習犯と同じだ。

 しかし,それにしても,全柔連はことの重大さをなにもわかってはいない。「思考停止」してしまった多くの日本人と同じレベルの人たちが,全柔連の理事会,評議員会を構成していることが,もののみごとに露呈してしまった。

 30日には,公益認定等委員会を所管する稲田朋美・行政改革担当相が「執行部が自発的に辞めただけでは勧告書どおりのガバナンス再構築とは到底言えない」と述べ,会長辞任にとどまらない抜本的な改革に取り組むよう求めている。そして,評議員会が解任案を否決したことについては「勧告書の趣旨を,果たして理解されているのか」と不快感を示し,8月末までに提出を求める報告書をもとに改革が不十分と判断した場合には「(公益認定を)取り消すこともあり得る」とくぎを刺している(31日の『毎日新聞』朝刊による)。

 すでに,わたしたちが知っている範囲でも,さきに出された「勧告」に対して全柔連は「反論書」を提出している。しかも,その書式ならびに文章がまるで中学生以下のレベルのものでしかなかった,ということも新聞をとおして知っている。全柔連の現執行部はそんな稚拙な対応しかできない集団だということも衆知のところだ。その集団が,あと残り一カ月という段階にさしかかって,どれだけの改革案を練り上げ,監督官庁に対して,文書として提出することができるのか,わたしはきわめて懐疑的である。

 日本の柔道をこよなく愛している人間のひとりとして,まことに残念の極みである。だから,あえてここに書いておきたいことがある。上村会長は8月末までに講道館館長の職も辞すべし,と。ここが上村会長の最終的な命綱だとおもっている。だから,講道館館長を辞任する考えはない,とすでに記者会見で述べている。それでは元も子もないではないか。

 内閣府の公益認定等委員会の眼は節穴ではない,とわたしはみている。こんどこそ襟を正して,柔道界を再生させるためにも,勇断をくだしていただきたい。評議員会までも「毒」がまわってしまった組織は一度,解体して,ゼロから出直すしか方法はない。つまり,つける薬はもうなにもない。残る方法は,外科的な解体という大手術のみだ。そのとき,はじめて,理事会,評議員会のみならず,純粋に柔道を愛好する人びとの眼が醒めるだろう。そこから,もう一度,やり直すしか方法はない。変な妥協をしてしまうと,かえって柔道界のためにならない。

 この問題については,じつは,もっともっと多くのことを語る必要がある。が,今回はこのあたりで,ひとまず終わりにしておこう。また,いずれこのつづきを書くことにして。いずれにしても,問題の根は深い。

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