盤双六を楽しむ遊女と若い客
盤双六(ばんすごろく),英語でいえばBackgammon,日本の古くからのこの遊びを知っている人はいまではほとんどいないらしい。それもそのはず,徳川幕府が徹底的に弾圧をくわえ,天保年間(1830~33)に消滅してしまった,といわれている。それほどにこの盤双六はむかしから大流行していて,江戸時代に入ってもその勢いが収まらないでいた。幕府はこの傾向をこころよしとせず,徹底的に取り締まり,とうとう姿を消すにいたったという。
この謎の盤双六,もともとはインド発祥の波羅塞戯(ばらそくぎ)。盤上遊戯としては,いま確認されているかぎりでは,世界最古のものらしい。日本には中国経由で仏教とともに伝わった,という。采棒(木または竹,のちに六面体のサイコロとなる)を振って,でた目の数に応じて石の位置取りをし,相手の石の邪魔をしながら,早く自分の石を相手陣営に全部送り込んだ方が勝ち。ルールはかんたんだが,その駆け引きには含蓄があり,なかなか奥の深い遊びらしい。
元来は神聖なる占い用の呪具だったが,世俗の世界に取り入れられると博奕(賭博)の道具と化した。以来,大人気で,各地で大流行したという。『日本書紀』にも,あまりに流行したために禁令を発した,と記されているほどだ。清少納言の『枕草子』には「つれづれ慰むもの」のひとつとして数えられている。鎌倉時代や室町時代には絵巻物にも数多く描かれるようになり,その人気ぶりが忍ばれる。戦国時代には留守を預かる武家の女性たちが気晴らしに楽しんだ,ともいう。そうして,江戸時代に入っても衰えることはなかった。そこで,幕府は強権を発令して禁止し,とうとう廃絶に追い込んだ,という。そして,いまや幻の遊戯と成り果ててしまったという次第である。
この絵の出どころは,彦根屏風(国宝)。彦根城主であった井伊家に代々伝わった六曲一双の屏風という意味でこの名が残る。描かれたのは寛永年間(1624~44)で,狩野派の画家の手になると考えられているが,詳細は不明。江戸初期の室内男女の遊楽のさまを写したもの。初期風俗画のなかでは傑作の部類だという。
さて,この絵に注目してみよう。左側に立て膝で座り,采棒を右手にもっている女性は,どうみても鉄火場で腕をあげたプロの姐御さんのように見受けられる。まだうら若い,お人好し風の男性は,女性のもつ采棒に見とれている。もう,すっかり姐御の術中にはまっているかのように,間抜けた顔をしている。おそらくは,正面奥の女性が遊女で,姐御と二人で色仕掛けに彩られたあの手この手で若者のこころを誑かしているに違いない。
この場所は遊廓の一室。いろいろの室内遊戯が用意されていたようで,歌舞音曲とともに,飲食したりして一夜を楽しむ。ここでの盤双六は,間違いなく「賭ごと」として行われていたといってよいだろう。いわゆるサイコロ賭博の勝った・負けたの単純な勝負の世界とは違って,男女の色事のなかでの「賭ごと」は,あの手この手の千変万化の応酬があって,人情の機微に富んだものだったのではないかと想像される。
こうした色事を含む遊びこそ,全知全能をかけた男女の互酬性の表出である。つまり,お互いの全存在を賭けた,まるでポトラッチのような「贈与」なのだ。すなわち,「生」の琴線に触れる,命懸けの消尽なのだ。だからこそ,一度でも,このエクスターズの味を占めてしまったが最後,足が抜けられなくなってしまう。
たかが盤双六などと思うことなかれ。フロイト流に考えれば,盤双六はセックスそのものだ,ということになる。その意味では,江戸時代初期の遊廓では,セックスの前哨戦として盤双六が重要な役割をはたしていたのかもしれない。しかし,フロイトは,逆に,あまりに盤双六に熱中してしまうと,セックスレスに陥る危険がある,と警告を発している。
それにしても,人間という「生きもの」は謎だらけで奥が深い。どこまでいっても解明不能だ。だからこそ,あれこれ試行錯誤しながら,いくつになっても生きられるのかも知れない。
というところで,今日はおしまい。
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