Tuesday, October 1, 2013

「イーロ・マンチランタ」(橋本一径訳)をめぐるドーピング問題を考える。

 『スポートロジイ』第2号に,<翻訳寄稿>イーロ・マンチランタ (自然によって)遺伝子的に組み替えられたチャンピオン(バスカル・ヌーヴェル著,橋本一径訳)が掲載されている。ドーピングの問題系を考える上で,これまで前例をみない驚くべき内容を含んでおり,こんごのドーピング問題を議論していく上で不可欠の論考である。その概要について紹介しておこう。

 まず,冒頭にこの論文の〔要旨〕が手際よく紹介されているので,それを借用しよう。その内容は以下のとおりである。

 この論文は,ノルディックスキーのチャンピオン,イーロ・マンチランタのケースを紹介し,分析するものである。この選手は遺伝的な変異の持ち主であり,そのおかげで手に入った並外れた呼吸能力が,彼の偉業にも大きく貢献したのは確実である。遺伝的な変異の特徴は明らかになっている。それはただ一つのヌクレオチドの変質に起因していたのである。系譜学的な研究によって,イーロ・マンチランタの祖先にいつこの変異が発生したのかを,正確に特定することができた。スポーツにおける大きなアドバンテージの出現についての,ほぼ完全な自然史が入手できたのである。さまざまなドーピング技術によって,このアドバンテージを模倣することが試みられている。ドーピングの性質に関して,このケースはいくつかの倫理的な問いを投げかけている。

 以上である。これを読めば,この論考がいかなる内容のものであるかは,ある程度は想定できるだろう。これを下敷きにして,わたしのことばに置き換えてみると,以下のようになる。

 何回ものオリンピック冬季大会で,数多くのメダルをほしいままにした希代の名選手イーロ・マンチランタが,ドーピング疑惑に問われ,血液ドーピング違反としてその偉業が取り消されてしまった。しかし,イーロ・マンチランタには,血液ドーピングをした覚えはまったくなかったので,その厳密な調査を訴えた。その結果,曾祖父の代にさかのぼって,赤血球を増加させる遺伝子の変異が明らかになった。イーロ・マンチランタ選手の無実が晴れたのである。そして,いまでは,フィンランド北部にあるラップランドのペロという町に,彼を讃えるブロンズ像が建てられている。しかし,このブロンズ像のもつ意味は複雑である。これらの事実を確認した上で,著者のパスカル・ヌーヴェルは,ドーピングが避けてはとおることのできない問題系を整理しながら,細部にわたって腑分けしつつ,問題の所在を浮き彫りにしていく。その行き着く結論は,これまでのドーピング論議とはまるで次元の異なる地平へと伸びていく。

 もう少しだけ補足しておきたいことがある。それは,イーロ・マンチランタ選手の遺伝子の変異の内容についてである。細かいことははぶいて,結論だけを取り出してみると,エリスロポイエチン受容体遺伝子は6545のヌクレオチドを持っているのだが,イーロ・マンチランタ選手に生じた変異は,この遺伝子の第6002番目だけに関係していた,というのである。このたった一つの遺伝子の変異が,イーロ・マンチランタ選手の赤血球を増量することに貢献し,競技成績を大きく左右したというのである。この点をまずは銘記しておこう。

 このほんのわずかな,小さな差異が,競技成績の明暗を分けていたとすると,ことはそれだけの問題では済まされなくなってくる。この小さな差異は,なにも遺伝子だけに限定されない。古典的には,筋肉の量や質に,他の選手たちとはことなる小さな差異を獲得するために,選手たちは日夜,トレーニングを積んできた。しかし,こうした差異が明確な科学的根拠とともに,あらかじめ明らかにされてしまうと(公けにされてしまうと),もはや,競技は成立しなくなってしまう。競馬の競走馬にハンディキャップを乗せて走らせるのも,勝負の結果を混沌状態にさせることによって,競技を成立させるためだ。

 ここでのドーピングに関する問題は,赤血球量の増加につながる技術にある。その技術は四つある,という。
 第一の技術は,よく知られているとおり,高地滞在である。
 第二の技術は,低酸素テントの使用である。
 第三の技術は,合成エリスロポイエチンを摂取することである。
 第四の技術は,受容体をコードする遺伝子の一つの変異である。

 イーロ・マンチランタ選手は,生まれながらにして遺伝子コードの変異を継承したのだが,それを人為的に行おうとするものが,第四の技術である。もし,この技術が可能だとすれば,「遺伝学的ドーピング」と呼ばれることになるだろう。しかも,技術的には可能である,という。そのため,WADAは,この遺伝学的ドーピング問題についての調査班を,すでにいくつも設置して,その対策に乗り出しているという。

 問題は,これだけに止まらない。ここからさきに,この論文の著者パスカル・ヌーヴェルは,予期せざる哲学的な思考の地平を切り開いてみせる。それは,スポーツ競技の本質にかかわる大問題に踏み込んでいく。このさきの展開については,もうすでに,相当に長くなっているので割愛させていただく。あとは,テクストで確認していただければ幸いである。
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