Thursday, January 31, 2013

奈良県桜井市の「出雲」を歩く。野見宿禰塚・幻視・遊。

意外な発見があった。
いや,幻視があった。
その前に,ある種の直観が働いていた。
向こうからなにかがやってくる,と。
それがそのとおりになった。
つぎからつぎへと,向こうからやってきた。
どうにも受け止められないほどの情報となって。

奈良・桜井市の出雲は,野見宿禰が住んでいたところに,ほぼ間違いはない。
かの地に立って,ぐるりとまわりを見渡した瞬間に,まっさきに直観したことだった。
そして,それはもはやわたしの確信のようなものになっている。
野見宿禰は桜井の出雲に住んでいた──わたしの不動の確信。

しかも,野見宿禰が生きていたころの,桜井の出雲は,相当に大きな勢力を形成していたに違いない。それは,二上山を拠点として大きな勢力を張っていた当麻蹴速と拮抗するほどの大きな勢力を形成していたはずだ。いや,それ以上に大きな勢力を張っていたのではないか。
だから,この二大勢力が激突するのは必然だった。

わたしの直観は,さらに飛躍し,あらぬことを幻視する。
国譲り神話の舞台は,ここ桜井の出雲だったのではないのか,と。
さらには,いわゆる邪馬台国もここにあったのではないか,と。
そして,その邪馬台国を打ち立て,支配していたのも出雲族だったのではないか,と。

国譲りの神話は,邪馬台国の最後の支配者オオクニヌシを追い出して,父祖の地である島根の出雲に封じ籠めたのではないか。オオクニヌシの次男タケミナカタも,天孫族のタケミカヅチに追われて諏訪に封じ籠められたのではないか。

それでもなお,三輪山を守りつづけたのは出雲族。三輪山は御神体。
そこに祀られる大神神社(おおみわじんじゃ=大三輪神社)には出雲の神様が鎮座ましましている。
「おおみわ」の「み」は,「霊」「巳」。大神神社の境内には「卵」があちこちに。
その大神神社を守る拠点が桜井の出雲に住む人びとだったのでは。

野見宿禰はその地を守る,出雲族を代表する豪族の頭領(力士)だったのでは。
だから,当麻族の頭領だった蹴速との決闘は必然だった。
それに勝利することによって,垂仁天皇の目にとまり,召し抱えられることに。

野見宿禰塚跡という碑が小さな田んぼの中に,ぽつねんと建っている。
ここに直径10mに及ぶ塚があった,とある。
それが,野見宿禰の塚(お墓)であった,と。
その塚が,明治16年の農地整理によってつきくずされ,田んぼになった,と。

まことに,摩訶不思議な話である。
わけがわからない。
塚を崩して,猫の額のような田んぼを造成しなければならない理由が。

野見宿禰から菅原道真に連なる系譜は,なぜか,藤原一族から蔑視され,冷遇される。
「もとはスガワラ」などという蔑称が残るほどに。

野見一族は全国のかなり広い地域に広がって散在している。
やはり,国譲りの神話の陰に大きな「謎」が隠されているのか。

にもかかわらず,三輪山を手放すことはなかった。
なぜ,それが可能だったのか。
巨大な出雲大社を構築することと,深くかかわっていたのではなかったか。
そこには深い密約があったらしい。

三輪山の裏側の尾根つづきに「ダンノダイラ」と呼ばれるところがある,という。
まだ,そこには行っていない。
こんどは,そこに立ってみたい。

桜井の出雲の集落からは耳成山がみえる。
両側から迫る山並みの間の向こうにわずかに広がる大和平野の中央に。
その背景には,遠く金剛山・葛城山がみえる。

なんとも不思議なロケーションではある。
今回の野見宿禰塚・幻視・遊は,ここまで。

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