Wednesday, February 27, 2013

「力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ」(納谷幸喜=元横綱大鵬)。

 名横綱大鵬さんが亡くなった。同世代の人が亡くなるというのはなんとも寂しいことである。個人的に思い出すことは山ほどあるが,ここでは控えめにしておこう。

 1月31日の東京新聞・朝刊に「取材ノート」という記名の囲み記事が載った(21ページ,高橋広史)。とてもいい記事だったので,その一部を紹介しておきたい。その書き出しは以下のようである。

 「2006年に相撲博物館館長だった大鵬さんを両国国技館内の館長室に訪ねた。モンゴル人ら外国勢が席巻する相撲界。どうしたら日本人横綱が誕生するのか。昭和の大横綱に聞くためだった。
 『力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ』。話題はあらゆる方向に飛んでも,結局は飽食時代を生きる日本人への憤り,嘆きに行き着いた。『マスコミも,あなたも含めてだ。企業だって,社員を褒めておだてて使えという時代なんだから』と。」

 このあとにもいい話がでてくる。が,残念ながら割愛。

 それらの名言のなかで,とりわけ「力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ」というこのことばにこころの底から共振・共鳴。納谷幸喜さんとは,一つ違い。だから,まったく同時代を生きた人間として,このことばにこころから共感する。

 「日本人全体が駄目になっている」という現実は,どの日の新聞でもいい,開いて読んでみればすぐにわかることだ。1面トップの記事から最後まで,「日本人全体が駄目になっている」ということを証明するような記事ばかりである。

 とりわけ,最近は,「駄目になっている」に輪をかけたように,加速度までつけて「盲進/猛進」している。このままいけば間違いなく日本に軍隊ができ,戦争に突入していく。それも,なんの役にも立たない軍隊ができる。駄目な日本人になってしまったいま,強い軍隊など望むべくもない。天皇のために,国家のために,命を捧げます,などという若者がどれだけいようか。

 「飽食時代を生きる日本人への憤り,嘆きに行き着いた」とあるように,まさに「飽食」が日本人を駄目にしている諸悪の根源だ,とわたしもまったく同じことを考えている。いつのころからか,テレビ番組の大半が,お笑いと食べ物番組で埋められるようになった。日本人は,このころから「思考停止」に慣れっこになってしまった。なにも考えない。見ても見ぬふりをする。惰性に流されている方が無難に生きられる。こんな楽な暮しはない,と思いはじめた。そして,それが「当たり前」となった。そんな日本人の姿を「茹でガエル」と命名した人がいた。このことばに痛く感動したわたしは,このブログでも多用している。

 そう「日本人全体が駄目」=「茹でガエル」になっている。

 政治も経済も,「人の命を守る」ことすら棚にあげて,ひたすら「カネ」ばかり追求する。そうすれば,「茹でガエル」は黙ってついてくる(票が集まる)。現に政権の支持率が上昇し,東京都民のオリンピック招致支持率も上がった。ほんとうなのか,とわが目を疑ったほどだ。東京都民とは,いったい,どういう人種なのか,と。「暴走老人」のワン・プレイで,一気に,日本を没落のシナリオに陥れてしまったというのに・・・。

 このさきは書きたくもないスポーツ界の腐敗。しかし,この構造は,政界や経済界とまったく同じ体質から吹き出したウミのようなものだ。そして,それを報じるマスコミの堕落。「マスコミも,あなたも含めてだ」という納谷幸喜さんのことばは正鵠を射ている。みんながみんな「茹でガエル」になってしまったために,己の堕落には気づかないまま,氷山の一角のような醜聞を寄ってたかった叩く。それが正義だとばかりに。ますます世の中を駄目にする「ポピュリズム」に支えられて。それもまた「儲かればいい」という経済原則に乗っ取られたままに。

 納谷さんに叱られて目が覚めたか,高橋記者はとてもいい記事を書いた。これから大相撲を批判するときにも,「飽食」の結果,「日本人全体が駄目になっている」という納谷さんのことばを念頭において,展開していただきたい。

 つまり,「飽食」によって「根こぎ」にされてしまった日本人のなかに,大地にしっかりと根を張ったモンゴル人がやってきて,横綱を輩出するのは当然のなりゆきだ,ということだ。

 納谷幸喜さんのご冥福をこころから祈りたい。


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